フランスの英雄 Jean Mermoz (Dec9th1901-Dec7th1936)

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French aviator Jean Mermoz (1901-1936) giving a talk in 1935. Photo: Wikipedia(domaine public)

 12月9日はフランスの国民的英雄Jean Mermoz(ジャン・メルモーズ)氏の誕生日です。因みに12月7日は命日です。

ジャン・メルモーズ(Jean Mermoz, 1901年12月9日 – 1936年12月7日)は、フランスのパイロット。1920年代から1930年代における、アフリカ・南米間の民間空路開拓に多大な業績を残した、国民的な英雄です。

フランスと彼が飛行した様々な国に彼の名前は様々な形で残されています。例えば:
● 気象観測船(1948-1958)は「メルモーズ」と名付けられました。
1967年に閉鎖されたグルノーブルの古い空港は、グルノーブルメルモーズ空港と呼ばれていました。
● パリオルリー空港の隣にある航空会社のパイロットスクールは、彼の名誉を称えてメルモズ研究所と呼ばれています。
● セネガルのダカールにあるホテルには、彼が姿を消した際に乗っていた水上機の名前「Le Croix-du-Sud」(クロワデュサッド)があります。

残した言葉:(パイロットならでは)
● “L’accident, pour nous, ce serait de mourir dans un lit. ” – 「私たちにとっての事故は、ベッドで死ぬことです。」
● “
Ce sont les échecs bien supportés qui donnent le droit de réussir.” – 「成功する権利を与えるのは、十分にサポートされている失敗です。」
● “
La vie moderne autorise les voyages, mais ne procure pas d’aventure.” – 「現在の生活は旅行を可能にしますが、冒険を提供しません。」
● “Tu sais, je voudrais ne jamais descendre.” – 「ご存知の通り、私は決して降りません。」

 

生涯:(Wikipediaより引用)
エーヌ県出身。1919年フランス空軍に志願入隊。パイロットとしてシリアや本国で勤務後、1923年に除隊。翌年にラテコエール航空会社に入社している。1926年、トゥールーズ・ダカール間の路線で飛行していたメルモーズは、サハラ砂漠での不時着を余儀なくされるも、無事生還。この出来事は、同僚のサンテグジュペリの小説の題材になった。1930年5月、2人の同僚とラテコエール28水上機でセネガルのサンルイからブラジルのナタールまで飛び、南大西洋横断飛行に成功。1933年には陸上機クージネ70型機”虹号”で、同区間を14時間掛けて飛び、無着陸横断を果たした。1934年には虹号で南大西洋を8回も横断している。また、周囲の影響を受け火の十字団と関わるようになり1934年に入団。たちまち広告塔となり後継政党であるフランス社会党(同名の政党とは無関係)では党副総裁となった。

1936年12月7日、ラテコエール300型飛行艇”南十字星号”で南大西洋の横断飛行中、後部右エンジンの停止を告げる通信を最後に消息を絶った。

『わが飛行』(”MES VOLS”)という著書が、死後翌年の1937年に出版されている。